あの日、あの時、あの場所で~アイスブレーキング企画~(岩手1日目 8月22日)

あの日、あの時、あの場所で

 

“アン、ドゥー、アン、ドゥー、アン、アン、ドゥー”(日本語訳:いち、に、いち、に、いち、に)

あの日(8月21日)、あの時(お昼過ぎ)、あの場所で(岩手大学体育館)、僕の右の掌は、ロゼットの肩を優しく包み込み、そしてロゼットの左手も又、僕の左肩をしっかりとつかんだまま放そうとはしなかった。運命だろうか、二人は目に見える白い糸でつながれていた。

 

想像するに難くないだろう。私はルワンダ人学生ロゼット、そして毛穴から湧き出る大量の塩水(汗)と共に二人三脚に励んでいた。

 

当日の気温は30度を越していた違いない。しかし、体育館の中の体感温度はそれをはるかに超えていた。一般的に地球温暖化の原因は二酸化炭素と言われている。が、この日ばかりは僕のハートの暑さに体育館中の空気が抵抗することをためらったように思える。

 

そしてもう一つこれだけは言いたい。あの日世界中のどこを探しても、ルワンダ人と日本人が2人3脚をしている姿を目撃できる場所は岩手大学体育館以外になかったということを。つまり、私たちは東京で宮崎あおい、もしくはイギリスでエマ・ワトソンに出会う事よりも、ある意味すごい事を岩手訪問初日にやり遂げたのである。

 

前置きが大変長くなった。日本ルワンダ学生会議は今年、岩手大学有志の協力の元、数々の困難を乗り越え、ルワンダ人学生の日本招致、そして東日本大震災の被災地である岩手県を訪問することが出来た。このブログは岩手県初日に行われたアイスブレーキング企画について綴るものである。

 

岩手県にルワンダ人が到着した3時間後、岩手大学体育館は光る汗飛び散る戦場と化していた。日本の歴史、そしてルワンダの歴史においても前例がないであろう(ネットで検索したが、ヒットしなかった)、バレーボール初心者によるバレーボールの国際親善試合、“日本 vs ルワンダが行われていた。

 

そこには、名前当てゲーム、そして上記の2人3脚をした時のような、穏やかな雰囲気は流れていなかった。

 

試合直前、コートを隔てるネットの網目を通して注ぎ込まれた、ルワンダ人学生ユージーンの鋭い眼光に一瞬筆者はたじろいだ。彼はルワンダ人チームメンバーとルワンダ語で試合前のミーティングを行っていた。“絶対に負けられない戦いがここにある”多分そう言ったのであろう。(注:筆者は全くルワンダ語は理解できない)

 

試合はルワンダ人チーム優勢のまま進む。日本人チームもサーブなどで盛り返すがなかなか点差は縮まらない。

 

早くもルワンダ人チームがマッチポイントを迎えた、点差は2点だったと記憶している。

ルワンダ人チームのサーブ。僕の胸に大事にしまわれている血液を全身に送り届ける臓器がギアを一つ勝手にあげた。トックン、トックン、トクン、トクン、トン、トン、ドドドドド、言葉に表せばこんな感じかもしれない。が、あれはあの日、あの時、あの場所にいなければわからない緊張感、昂揚感だった。

 

“アウトだ”

こう決めつけてしまった時点で試合の行方は決まっていたのかもしれない。

 

“パン”

乾いた音が体育館中に響き渡った。白線の少し内側に白い球体は足を下ろした(ボールに足なんか無いけど)。

 

“ちくしょう、あと少し、あと少しだったんだ”

日本人チームのうち一人くらいはそう思ったに違いない。

 

奈落底に落とされた?日本人チームを尻目に、ルワンダ人チームは涼しげな顔で移動を始める。

 

チェンジ・コート!ルワンダ人メンバー、シンシアが言い放つ。

 

彼らの中ではまだこの試合を終わらせるつもりはなかったらしい。完膚なきまでに日本人チームを叩きのめそうとでも思ったのだろうか。もちろん、日本人チームにはそんな気力も、体力も残っていなかった。

 

こうして初日のアイスブレーキング企画は幕を閉じたのである。

 

中山康平